特別な日に、いつも通りの
※現パロ設定です
まどろみの中、聴こえてくるのはざわめく人々の声と蛇口から流れ出る水の音。ふとその音に意識が向けられてしまい、ゆっくりとまどろみの海から浮上する。ゆるゆると瞼を開き、数度まばたきをしてから、身体を起こした。ぐっと伸びをしてから目線を下ろせば、見慣れた黒いコートが己に掛けられていることに気付く。
「……起きたか」
声の主のいる方向へ振り返り、目を向ける。いまだどこか夢心地で視界はぼやけているが、聴き慣れた心地よい声と見慣れた愛しい男の姿がそこにいることだけはすぐにわかった。思わず頬を緩ませ、「おはよう」と返事すると、男――大倶利伽羅は「まだ夜は明けてないがな」と呆れたように言った。言われてみれば辺りは暗く、まだ日が昇っていないことがわかる。リビングの照明は落とされ、部屋の中で光を放っているのはテレビと、この家の主ご自慢のダイニングキッチン――リビングに隣接しているカウンター付きの台所だけだ。
完全な暗闇ではなく、ちょうどいい暗さの部屋に再び眠気を誘われる。「そっかー」と曖昧な返答をしながら彼のコートを抱きしめ、自分がたった今寝ていた場所であるこたつに潜り込もうとして、ハッと覚醒する。
「ちょっと待って、今何時!?」
「…2時だ。深夜のな」
「ええー…年明けちゃってるじゃん…」
どうやら私は、光忠の家での忘年会兼年越しパーティ(?)でごはんを食べたあと、うっかり眠ってしまったらしい。起き上がり大倶利伽羅からの返答を聞いた私は、がっくりとうなだれ、こたつのテーブルに頭を乗せた。
先ほどからやけに賑やかだったテレビから聴こえてくる声は、年が明けて新年を迎えた街の人々の賑わいの声だったのだ。アナウンサーの女性が街頭の人々にインタビューし、新年の抱負や目標を聞いて回っているらしい。どの人も新しい年を迎えたことに浮かれているのか、カップルや若者、酔っ払いのおじさん達、誰も彼もが笑顔で楽しげにしている。
「なんで起こしてくれなかったのー。新年、一緒にお祝いしたかったのに」
「知らん。迂闊に寝たあんたが悪い」
「しょうがないじゃん…こたつはぬくいし、お腹いっぱいになったら眠くなっちゃったんだもん……光忠と鶴丸は?」
「あんたの向かい側に転がっている」
少し身を乗り出して向かい側を見る。そこには彼が言ったように、光忠と鶴丸が互いに寄り添うようにして寝ていた。寒いのか、もぞもぞと暖を取るようにこたつの布団に顔をうずめている。なんとまあ可愛らしい。眠りながら若干狭いな、と思っていたが、この二人の足のせいだったのかと気付く。特に光忠は足が長いので余計に邪魔だ。
私はテーブルに頭を預けながら、ぼーっとテレビを眺める。せめて年が明けたら、いや、できればカウントダウンが始まるまでには起こしてほしかった。一緒に年が明けるまでのカウントダウンをして、新年が始まる瞬間を過ごしたかった。たかがそんなことだと思うかもしれないが、新しい年のスタートという特別な日だからこそ、そうしたかった。しかし当の本人は洗い物の方が重要なのか、こちらの文句など無視している。てめえこのやろう。
ぶーぶーと若干むくれながらテレビを見ていると、画面越しの景色が移り変わる。映像に映し出されているのは、どこかの大きな神社だ。
『ご覧ください!こちらの神社は深夜にもかかわらずたくさんの参拝客で賑わっており――』
年が明けてまだ2時間ほどしか経っていないのに、テレビの向こうの神社にはおびただしい数の人が初詣に来ていた。有名な大きい神社だからだろうか。参拝客もどえらい人数だ。その中には振袖を着た若い女性もいて、一気に正月を迎えた気分になる。
「初詣かあ…」
そういえば去年はインフルエンザに罹ったため、初詣に行けなかったことを思い出す。それどころか正月三が日はずっと布団と過ごしていた。おせちもお餅も食べ逃して、正月気分を味わえなかったという実に苦い記憶だ。それらを思い出しながら呟くと、背後のキッチンから声がかかる。
「…行くか?」
「え?」
「初詣」
きゅっ、と蛇口からの水を止めて、大倶利伽羅が顔を上げる。手を拭きながらリビングに戻ってきた大倶利伽羅は、私の膝元にあるコートを手に取り、羽織った。
人込みが苦手な彼が、初詣に誘ってくれるとは珍しい。ぽかーんと呆けて目をぱちくりさせる私に、大倶利伽羅が顔を顰めながら「どうするんだ、さっさと決めろ」と急かす。断る理由など何もない私は、満面の笑顔で「行く!」と答えた。
「あ…でも光忠と鶴丸はどうする? 勝手に家出てったら何か言われるんじゃ…」
「放っておけ。どうせ酔っ払いだ、すぐには起きないだろう」
「それはそうだけど…鍵は? 開けたままで行くわけには、」
「光忠の鍵で閉めればいい。合鍵なら国永が持っている」
そういうと大倶利伽羅は玄関先に置いてある、家主である光忠の鍵を勝手に持って外に出る。いいのかなあ、なんて思いながら(いや、多分良くない)私も自身のコートとマフラーを引っ掴んで、大倶利伽羅の後を追って家を出た。
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*
深夜2時を過ぎれば終電も終バスも既になくなってしまっているため、大きな神社に行くことはできない。私達は歩いて数十分、近所の少し小さい神社で御参りすることになった。
「結構人いるね。みんな暇なのかな?」
「俺達が言えたことじゃないだろう。考えることは誰しも同じだ」
それほど大きくない神社なので、さほど人も多くないだろうと思っていたが、思っていたよりも参拝客が多い。それに、境内にも明かりが灯っており、ちらほらと屋台も出ている。深夜とは思えない賑わいようだ。屋台から昇る美味しそうな香りにふらふらと引き寄せられるように歩き出せば、大倶利伽羅にがしっとマフラーを掴まれ、阻止される。
「食べるのは、参拝が終わってからだ」
「はぁい…」
しぶしぶ了承すれば、大倶利伽羅が呆れたようにため息を吐く。まるで「よく食うなコイツ」と言わんばかりだ。しょうがないでしょう、お祭りなどのこういう屋台の食べ物は、直前までは食べる気がなくてもいざ来てしまったら何故か食べたくなってしまう謎の食欲を誘うんだから。それに家からここまで歩いたんだから当然お腹も空く。空腹は生理現象だ。私悪くない。
手水舎で手を洗い、神殿に向かう。5円をお賽銭箱に投げ入れて、鈴をガラガラと鳴らす。そういえば、拝礼ってどうやるんだったか。あまりこういうところには来ないし、去年は寝込んでいたために参拝していない。こういうところに出る己の知識不足が恥ずかしい。
自力で思い出すのは諦め、隣に居る大倶利伽羅に倣って拝礼する。二回お辞儀をして、ぱんぱんと二回手を打つ。さて、神様に何をお願いしておくべきか。とりあえず今年も元気に過ごせますようにということと、大倶利伽羅とこの先もずっと一緒に居られますように、とお祈りする。そしてそして、あわよくば彼と結婚したいです神様!
よし、と目を開け、最後に一礼する。気合を入れてお願いしたのだから、どうか叶えてくれよ神様。
「…随分長い間願い事をしていたな」
「そういう大倶利伽羅は短すぎない? どんなお願い事したの?」
「あんたがちゃんと大学卒業できるように、と」
「あ、それ願うの忘れてた」
「一番重要なことだろう。それ以外に願うことがあるのか?」
「あるんですぅー! 大倶利伽羅みたいに何でもできるくせに無欲な人と違って、私には叶えたいお願いがいっぱいあるんですぅー!!」
「…なんでもいいが、もしも卒業の単位落とした時は覚悟しておけ」
その言葉に、ヒィ、と小さく悲鳴をあげる。もし本当に落としたらめっちゃ怒られるやつだこれ…! 冷や汗を流しながら「やっぱもう一回お祈りして来てもいい?」と聞けば、「俺が祈ったのだから必要ない」と返された。言外に「大丈夫だ」と言われているように感じて、それもそうか、と思う。大倶利伽羅が言うなら本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。まあ、この場合、スパルタレベルで勉強を見てやるから落とさせない、というのが正解だろう。うーん、恐ろしい。新年初日にしてもう今年が不安になってきた。
そんな軽口を叩きながら、境内を歩く。人込みは一向に減る気配がない。時間が経つにつれて、参拝客は増えてくるだろう。先ほどのお目当ての屋台へ向かう中、若干増えた参拝客の人込みに私が飲まれそうになっていると、大倶利伽羅は何も言わず手を取って歩いてくれた。何の気なしにそういうことをやってのける彼がかっこよくて、思わずにやけてしまう。
「ねえねえ、何食べる? たこ焼き、たいやき、焼き鳥、ベビーカステラ……あっ、焼きそばもある! 全部食べたいなあ…」
「どれだけ食べるつもりだ、あんたは。ひとつにしておけ」
「え~……」
「…奢ってやる」
「じゃあベビーカステラ!」
「…はあ……」
呆れたように、本日何度目かのため息を吐く大倶利伽羅。食べたいものは食べたいんだから仕方ない。繋がれた手を引っ張って、ベビーカステラの屋台へ先導する。
屋台には大、中、小の袋があり、それぞれベビーカステラの内容量が違うとのことだった。私は迷わず大の大きさを選ぶ。一番量が多いこともあって値段も一番高かったが、大倶利伽羅は何も言わずお金を出してくれた。よく光忠が大倶利伽羅は私にだけは妙に甘いと言うが、確かにそうだと思う。光忠や鶴丸には割りと言うことはズバズバ言うし扱いも辛辣だが、私に対してはそこまで厳しくは言わないし丁寧に扱ってくれる。その場のノリで雑に扱われたりすることもあるが。先ほど、手を繋いでくれた時もそうだが、こういうところで大事にされていることを実感する。
「そら、受け取れよ」
「わ~! ありがと、大倶利伽羅!」
ひとつ口に加えて、半分に割って食べる。できたてなので中身が熱い。やけどしないようにはふはふと息を吐きながら、ゆっくり咀嚼し、飲み込む。残り半分もふうふうと冷ましながら、口の中に放り込んだ。甘くてふわふわしており、大変美味である。もうひとつ手に取ったあと、大倶利伽羅にも食べさせようと袋を差し出せば、彼は袋の中のベビーカステラではなく、私の手にあるベビーカステラに齧り付いた。こら、お行儀悪い。
二人でベビーカステラを食べながら、境内を散策する。どこもかしこも人で賑わっており、そこらじゅうから人の声が聞こえてくる。家を出る前に見ていたテレビのように、その多くは若者やカップルといった参拝客だ。ちらほらとだが、振袖を着ている女性もいる。ふと、自分の服装と見比べて、思わずため息を吐いた。ジーンズにキャメル色のコート、スニーカー。おまけに、家を出る前まで寝ていたために髪には寝癖がついている。大倶利伽羅とはいつも一緒に居るから、彼もこちらの身なりはさほど気にしてはいないだろうが、もう少し綺麗な格好をするべきだったとなと思う。新年最初に顔を合わせる時くらい、それなりの格好をしたい。こんなよれよれの服装では、情けなくもなるだろう。
とほほ…と嘆いていると、「おい、」と大倶利伽羅に声をかけられる。彼の方へ振り向くと、なに、と言うために開きかけた口にベビーカステラが押し込まれる。突然口の中に押し込まれたことに驚いて、危うく丸呑みしていしまいそうになるが、ゆっくり咀嚼してどうにか飲み込んだ。
「ちょっ、なに? びっくりした…ってむぐー!?」
「食え」
「食べてる! 食べてるから!」
続いて第二撃のベビーカステラを押し込まれる。なんなんだ、いったい…!と頭にハテナマークを飛ばして困惑しながらもぐもぐと口を動かしていると、大倶利伽羅はじっと私を見ながら、口を開いた。
「何を考えているか知らないが」
「?」
「あんたが俺の隣にいるなら、俺はそれだけでいい。特別な日であろうとなかろうと、そのままのあんたがただ俺の傍にいるだけで十分だ」
それは、彼なりのフォローなのかなんなのか。私が振袖姿の女の子達と自分を見比べて落ち込んでいることを察して言ってくれたことなのかはわからない。けれど、今の言葉が彼の本心だということはわかる。この人は嘘は吐かないと知っているからだ。あまり言葉数が多くない大倶利伽羅が私に向けてくれた、嘘偽りない言葉に、顔が緩む。
「大倶利伽羅…」
「なんだ」
「だいぶ私のこと好きだよね」
「あんたは本っ当に一言余計だな…!」
「あっいだだだだだ! 痛い! ていうか握力つっよ!?」
ぐぐぐ…と右手(利き手)で思いっきり頭を掴まれ締め上げられる。前に光忠のことを筋力ゴリラだと言っていたけど、大倶利伽羅も人のこと言えない。コイツの筋力も大概だ。ひいひいと言いながら大倶利伽羅の手から逃れようともがいていると、大倶利伽羅のポケットから着信音が鳴り響く。それに気付いて仕方なしに頭から手を離され、私はようやく解放された頭を撫でて、割れていないことを確認した。割れてない。よかった。大倶利伽羅はスマートフォンのロックを解除し、通話に応答した。
「なんだ、光忠」
『なんだ、じゃないよ! 二人ともどこ行ってるの? 勝手に居なくなったら驚くじゃないか!』
「…どうだ、驚いたか?」
『君、それ無表情で言ってるよね…。それで、今どこに居るんだい?』
「そこの神社だ。初詣をしに行っている」
『えっ! 二人でかい!? ずるいよ! 朝に皆で行こうと思って着物も用意していたのに!』
スピーカーから聞こえてくる光忠の声に、二人でくすくすと笑う。『何笑ってるの、とにかく早く帰って来るんだよ!』と言われて電話を切られ、二人でまた仕方ないな、と笑った。帰ったら光忠からのお小言をもらうことになるだろう。お詫びとご機嫌取りのために、屋台で何か買って帰ろうか、と話しながら、手を繋いで歩き出す。
「あ。そうだ、大倶利伽羅」
「なんだ」
「明けましておめでとうございます。今年もずっと一緒に居てね」
そう笑顔で言うと、大倶利伽羅は面食らった表情を一瞬だけ見せて、そのあとに小さく微笑みながら、「こちらこそ」と答えた。
END