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 たまの休息日、与えられた現世への帰路の途中、何を思ったか我らが主は「夢の国に行きたい」と口にした。それが先日彼女が昔訪れたという遊園地のような場所を表していることは分かっていたし、てっきり仲の良い光忠あたりと行くのだろうと適当に流して聞いていたのに、彼女が供に指名したのは俺だった。光忠では目立つから嫌らしい。
「夢の国は現代の恋人にとっての聖地なんだよ。ちゃんとエスコートしてあげてね」
「はあ」
「伽羅坊、土産は何でもいいぞ。あ、でも面白いもので頼む」
「伽羅!俺はあの緑の猫を買ってきてくれ!派手に飾ってやるから!」
 送り出される折にあれこれと言われたが、もう訳がわからなかった。とりあえず緑の猫を買ってこなければ貞に何を言われるか分からないからそれだけを心に留める事にする。耳にしたことのないカタカナ言葉を投げつけられ、現代における恋人とはなんたるかを叩きこまれ、渋々理解したふりをすることで俺はようやく開放された。
「君が今からやることは主の護衛兼恋人として主を女性として喜ばせることなんだからね!」
 場所が場所なだけに、きっとお前のほうが適任だろうよと思いながら耳障りな集団を後にした。
 審神者の慰労帰省ということで、外出することに関しては政府から何の咎めもなく、護衛として俺だけを引き連れることに関しても特段何も言われなかったという。いくらなんでも手薄過ぎないかと文句をつけたが、逆に目立っては遡行軍の格好の的になるということで恋人同士のデートのふりをするほうが自然かつ安全であるとの判断がなされたと返された。そうなればこちらとしては引き下がるしかなく、肩が凝りそうな現代の上着を羽織って出かけることになった。
 しかしどうにも気分が晴れなかった。護衛という任務であるにしろ、想い人との外出が嫌な訳ではない。光忠ではなく俺を指名してくれたことに対して僅かながら優越感だって覚えなかった訳でもない。ただ、どうしてもどこか胸の内に靄がかかっているのだ。
 出かける前に夢の国とやらの事前知識を光忠達にあれこれと説明を受けた。様々な遊具があり、いくつかの地域に分かれていてそれぞれに物語が隠されているということ。歩いているだけでも楽しい、現代の人間たちの夢を具現化したような場所。人の笑顔と希望に満ちた、それはまさに極楽のような場所であると。その夢の国の名前を聞けば、現代の人間は誰もが胸を躍らせるほどに、そこは素晴らしい場所なのだと。しかし、自分には良さが分からず、彼らの熱弁の中ひたすらに首を傾げ、訝しむばかりであった。
 夢。それは甘く、時に脆く、朧げな形無き人の理想。ヒトがそう在りたいと考える願い。脆弱な意志。野望よりも穏やかで、希望よりも力無く、刀たる自分には不要なもの。夢。人の身を得て眠るようになってから時折目にする幻想。人の欲望の片鱗が現れる、夜の誘惑。自らの意志がありのままに映し出される鏡のようなもの。夢。それは、俺にとってよく分からない、ただあまり良いとは思えないものだった。紛い物、私欲に塗れたヒトの汚れた部分を救い上げたもの。根拠のない絵空事。だから、夢の国だなんて響きを耳にすると体の芯がむず痒くなる。ヒトが互いの弱さを慰め合う、馴れ合いの塊。仮初の楽園。
 彼女もその夢の国に憧れる、所詮はヒトの子だったのだ。それにがっかりしている自分がいる。彼女には現実を見て欲しかったのかもしれない。戦という現実から、目をそらさずにいて欲しかった。戦、そして自分を見ていて欲しかったのかもしれない。とんだエゴだ。ここで自重するように笑うと、彼女が夢の国とやらのチケットを買って戻ってきた。
「今日は閑散期だからすぐに入れそうだよ。これ持って、あそこのゲートに並ぼう」
 彼女の足取りは軽く、本丸にいる時のそれよりもずっと楽しそうに弾む。聞き慣れない金管楽器のファンファーレがまた体の芯を震わせた。居心地が悪い。鼓膜を叩く高周波の音に顔を顰めた。
「入ったら、何をするんだ」
「まずハニーハントのファストパスを取って、待ってる間にスターツアーズとスペースマウンテンに乗るでしょう。それからハニーハント乗ったら次はバズのファストパスとって、その頃にちょうどお昼だろうからどこかでご飯にしよう。買い物は帰る時でいいからとりあえずアトラクション巡りたいな」
「……そうか」
 詰め込みのレクチャーだけでは、彼女の言うカタカナの羅列を理解するのは到底難しかった。最初にハニーなんとかという場所に行くことだけがわかったのみだ。こうしている間に擦れ違う歓声、視界に入る色も形も様々で奇怪な被り物、全てが目にも耳にも煩わしくて嫌になる。
「……大倶利伽羅、つまらなさそう」
 あからさまに表情が曇っていたのだろう、不服そうに見上げる彼女の顔があった。入園ゲートを目前にして、彼女は機嫌を損ねたらしかった。当然だろう。きっと今の自分は彼女のそれよりも曇った表情をしているのだから。
「あんたがこんな安い夢に踊らされているのが悲しくてね」
「はあ」
「あんたも俗なものが好きなんだなということだ」
 言葉の棘があからさまに彼女を突き刺す。大人気ないことをしたと思った時には彼女が俺に向けていた視線をふいと逸らして二度とこちらを向いてくれそうにない勢いで一人、前をつかつかと進んでいく。事実、俺の本音だった。しかし胸の内を打ち明けられた開放感はやがて彼女の背中から伝わる俺への怒りに押し潰されてすうとその身を消してしまう。一際トーンの高い金属音の重なりが脳を揺さぶった。
「これくらい非日常的な場所なら、忘れられると思ったのに」
「わすれる」
「戦いのこと、全部。大倶利伽羅が刀であることも忘れて、ただ楽しい思い出に浸って欲しかったの。私もディズニー好きなのはあるけど、大倶利伽羅に現世は楽しくて、恋人同士であることだけ考えて欲しかった。……ごめん、大倶利伽羅はそもそもこんな場所じゃ嫌だったよね」
「あんたが来たかったんだろう、ならあんた一人で行けばいい。本丸にいる時より随分楽しそうに見えるしな」
「……それが本音なのね」
 また、失言。思ったことを言うとどうしても彼女の機嫌を損ねるような言葉しか出てこない。優しい嘘をつくこともできない自分の矜持が少しだけ恨めしい。もう彼女を傷つけたくはないし、それならいっそ本当に彼女だけで中に入ればいいのかもしれない。きっとそのほうが気を使わずに済むから楽しめるだろう。
 帰ろう。その選択肢はとても簡単なことだった。その場から立ち去り、元来た道を戻れば本丸へ帰れる。たったそれだけのことなのに、何故か足がそこから動こうとしない。思考と体が分離したように、俺の体が主から離れることを拒否していた。
 そして彼女もまた、今度はもっと目頭を立てるかと思いきや呆気を取られたような顔で振り向くなり、表情と思考が咬み合わないのか表情が思考について行けていないのか、定かではないが無言のまま間抜けな面で俺を凝視するのみである。もっと罵倒されるか、いっそ無視して振り向きもしてくれないかと思いきやこの反応だ。半ば身構えていると、ようやく思考と顔の筋肉の神経の通り道が繋がったのか、しかしそれは奇しくも笑い声となって現れた。彼女は笑い始めたのだ。
「っは、はは。あはは。なんだ、そういうことなのね」
「何だ、急に」
「ん、っふふ、ははは、いや、可愛いところもあるんだね、ふふふ」
「笑う前に何を考えてたのか話せ。気味が悪い」
「え、言ったら、ふふふ、怒らない」
「……怒らないから、言え」
 彼女の持ち上がった広角の上にある柔らかな肉の塊を摘んでやる。風に煽られて乾燥した頬の皮膚が指先の上で少しだけかさついた。
「嫉妬してたんだなって思ったの。私が本丸にいるときより楽しそうで、自分以外のものに興味を持ってるのが、面白くなかったんでしょう。ものの付喪神だもの、自分以外のものに興味持たれたらそりゃあ嫉妬もするよね、いててて」
「痛いと思うなら二度とその口を開くな煩わしい」
「そういう反応をするってことは図星だよね、っいたい、いたいいたい」
「だから黙れと言ったんだ、クソ……」
 嫉妬。突然細く鋭いもので身を貫かれたような、ぴりっとした刺激とじくじくと傷口が痛むような感覚に襲われる。ここがとても素晴らしい場所で、愛らしい動物を模したものがいて、それは彼女に愛されていて、万人に求められる場所であり、ものであることに、付喪神として嫉妬していた。ここがこの上なく素晴らしい場所だと周りが熱弁を振るわれるたびに胸がざわついたのは、彼女がその素晴らしい場所に心奪われないか、怖かったのだ。そして今日、足音の軽い彼女を見て不安が現実になったことで気が立っていただなんて、言えるはずもない。恐怖だった。そして、嫉妬という自分でも認めたくない汚れた感情に溺れていたのだ。
「本丸は本丸だし、ここはここ。ここが好きだからって本丸に帰らないとか言わないし、私にとっては大倶利伽羅と来ることに意味があるんだよ」
「意味、だと」
「だって好きな人と好きなものを共有したいでしょう。美味しいものもたくさんあるし、大倶利伽羅の時代にはなかった面白いものがここにはあるよ。それを知ってほしいし、私と一緒に楽しいって思ってもらえたら、一番嬉しい。大倶利伽羅が好きだから、今日私の好きな場所に一緒に来てもらったんだよ」
 前の列の団体が一歩前に踏み出す。ゲートが開け放たれ、先頭集団が我先にと花園を通り抜けてガラス張りのアーケードへと消えていく。そうしている間に俺の手にも、彼女がクシャクシャにしたチケットの一枚が握らされていた。淡い黄色地に、黒いネズミのイラストが描かれた薄っぺらい夢の国への入園券。それを握っていない、もう片方の手を彼女のそれに重ねる。半歩だけ彼女より前に出る頃には、あの甲高い金管音も嫌ではなくなっていた。金属同士が擦れ合うような嫌悪感を抱くものではなく、むしろ身に馴染むような気さえした。
「ついでにいうと、私はずっと伽羅だけ見てるからそんなに嫉妬しないでよ。物になんでも嫉妬されたら、私何も触れなくなるわ」
「俺はあんたの手に触れる俺以外のものすべてが憎いがな」
「うわあなんたる妬きもちやき」
「あんたが今握っているその紙切れすら破きたくなる程度のだが」
 ゲートをくぐると、目の前には色鮮やかな庭園と彼女が目を輝かせて写真で眺めていた青と白の建造物が迫っていた。小走りで中へと急ぐ人々に追い抜かされながら、数刻だけのヒトらしい心持ちに今は身を任せてしまおうと考える。
 行こう、と彼女が笑うから少し呆れたふりをしてその手を握り直した。

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