So Sweet of you
こんのすけからの知らせで届いた無愛想な封筒を手にし、大倶利伽羅は主の元に向かっていた。
今日はこの本丸の公休日である。出陣や遠征などは特になく、皆思い思いに過ごしている。
ただ、近侍は守り刀でもあるため、どんな時でも必ず設けられていた。だが、当然殆ど仕事はない。せいぜいこうして政府から連絡が来れば、それを主の元へ届ける程度である。
それすらない時があるため、この日に近侍が当たるのは、ある意味当りであり、主命を至福と感じる某刀にとっては、地獄のような日であった。
大倶利伽羅にとっては、どちらでもない。近侍であれば、必ず審神者の側に居たし、例え彼女がどこへ行っても良いと言っても、離れはしなかった。
だから、たとえ政府からの知らせを受け取るためであろうとも、彼女の側を離れることは居心地が悪い。執務がある時の方が、審神者の側には多くの刀が居るため守りは厚いが、公休日は近侍一人が担うに等しい。
そのため、大倶利伽羅は急ぎ執務室に戻る。そして、障子の向こうにいる主に声をかけようと口を開いた瞬間だった。部屋の向こうで悲鳴が上がる。
「えー?! 行けなくなったの?」
『ごめん。どうしても、仕事が入って無理になって。別の日にまたセッティングするから』
片方は主の声だったが、もう片方は機械を通した声だった。それが明らかに女のものであったことに、大倶利伽羅は肩の力を抜く。
「ああ、ごめん。責めているわけじゃないの」
乾いた響きの返事は、明らかに力がない。相手はどうやらかなり急いでいるらしく、主の様子に気付かないまま通信は途絶えた。
その途端、障子を挟んでいるにも関わらず、主の途方も無い溜息と重い空気が伝わってくる。
どうやら外出の予定が消えてしまったらしいが、大倶利伽羅にはその予定に覚えがなかった。現世に行く時は、審神者は必ず刀剣男士を連れて行かねばならない。審神者一人に対し、刀剣は二人まで連れて行ける。一人は必須だった。
大倶利伽羅は、近侍として刀剣達の予定を覚えており、誰も現世への供となっていなかったことを知っている。
「……おい」
障子を勢いよく開けて部屋に入る。女人である主のため、私室は鍵が掛かるが、執務室は公的な場だ。近侍は勝手に入っても文句は言われない。だが、大倶利伽羅が態と乱暴に声をかけても、彼女はモニターの前でこちらに背中を向けて俯いたままだった。
「あんた、一人で現世にでも行くつもりだったのか」
「……へ?」
「俺達の誰も供につけず、誰と会うつもりだった」
大倶利伽羅は、自分でも不必要なほど攻撃的だと思う声で、主に声をかけた。
「……いちご……」
『一期一振』の『一期』の抑揚で、主が声を上げる。
どこか狂気を宿した光で見上げる主の目に、何故か胸の奥で赤い光が瞬く。喉が焼けるようだった。
細く華奢な手をそろりと伸ばし、大倶利伽羅の腕を掴む。普段、彼女は刀剣と触れることを極力避けているというのに、何故か常軌を逸した笑みを浮かべており、大倶利伽羅は不覚にもその空気に呑まれた。
「いちごフェアが、あるの」
「……何?」
聞きなれない音に、大倶利伽羅は彼女を責めようとした筈の言葉を止めてしまった。
「そう、そうよ。倶利伽羅! 大倶利伽羅! あなた、生クリーム、平気だったわね?」
「あ、ああ」
「カスタードクリームもバタークリームも、チーズも全部食べられる!」
大倶利伽羅の顔が歪む。
何故かこの本丸では、和菓子や水菓子は食べられても、洋菓子を食べられる刀がいない。大倶利伽羅だけが例外的に、食べられる。
「見て! 苺フェアが今日までなの! 予約もしていたんだけど、友達が行けなくなったから、死ぬほど落ち込んでいたのね?でも、大倶利伽羅! あなたなら私と一緒に行ける! 多少キャンセル料を払ってもいいわ。人数変更が出来るなら今から行くわよ!」
顔に叩きつけられるように突き出された紙を受け取り、見やすい位置まで離す。
色鮮やかな赤に彩られた紙には、確かに『苺フェア』という文字が浮かび、苺を使って作られた洋菓子がところ狭しと並んでいる。
とちおとめ、とよのか、べにほっぺ。妙に愛らしい言葉はどうやら苺の品種らしい。
「うちの子達、クリーム系って匂いだけでも苦手だから、その場に連れて行くことが出来ないでしょ? 他の本丸の子はそうでもないらしいから、私の奢りで連れて行く予定だったの。それが、友達の方が無理になっちゃったから、一人で行くことも出来ないって落ち込んでいたのに、そうよ。うちの本丸には、大倶利伽羅、あなたがいた!」
「おい、まさかあんた」
自分を連れて行くのか。この、見るからに毒々しい桃色の世界へと。
文句のひとつも言おうとした大倶利伽羅だが、とっさに言葉を飲み込むしかなかった。
審神者の目が、狂気に染まっていたからだ。
「主命を使わなくちゃ駄目かしら?」
「……必要ない」
ここで、彼が拒めば主命を使って行くだろう。あるいは、下手をすれば一人で行くと言いかねない。それは、困る。
言霊で縛ることは、可能だ。だが、それは主にも大倶利伽羅にも負担を強いる。
「良かった。じゃあ、準備をしてね。現世へ行くのだから普通のセーターとチノパンにコートくらいが良いと思うわ」
現世へ行く際、刀は封じられる。とはいえ、その場で歴史修正主義者が現れないとは限らないから、主の許可を得れば、即座に抜刀出来るようになっている。
冬場であるため、腕を露わにすることはないが、夏であれば大倶利伽羅の倶利伽羅龍は一般の人には見えないようになり、目の色も明るい栗色くらいになっている。髪の毛の先も、少し赤みがかった程度になるらしく、奇異な目で見られることもない。
「そこまでして食いたいのか」
「そりゃそうよ。いちごは私の一番好きな果物よ」
また、彼女の抑揚は『一期一振』と同じものだった。
腹の底に澱が降る。溜息をついても、一緒に吐き出されはしなかった。
人数の変更は、あっさりと通った。キャンセル料を払う必要もなく、主は大いに喜んでいる。甘いものを食べに行くというのに、昼前から向かっている。さすがに昼食は普通の食事がいい。
大倶利伽羅は言葉にはしなかったが、主には通じていた。
「安心なさい。ここにはスパゲティやらお寿司やら、甘くないものもあるのよ。とは言っても、スイ◯ツパラ◯イスというくらいだから、メインは甘いものだけれどね」
現世への供と聞けば、大抵の刀が行きたがる。ただ、今回は洋菓子が目的だと知ると、誰もが遠慮をした。
主の影響を受けるという刀剣男士は、主は人並み以上に甘いものを好むというのに誰も洋菓子を好まない。不思議なことだった。
「あんた、時々俺と一緒に洋菓子を食っているだろう。足りないのか」
「まあ、物足りないのは確かだけれど、それだけじゃないわよ。今日は年に一度のストロベリーフェアなんだから!」
庭の一角に苺畑を作った主である。苺狂いであることを、本丸全員知っている。
「今日のためにコンディションも整えてきていたの。ふふ、倶利伽羅が近侍で良かったわ」
よく言う。彼が洋菓子を食べられることを忘れていたくせに。
口の中で文句を言えば、主が彼の腕にそっと腕を絡めてきた。何故か体が強張り、口の中がカラカラになる。
「……あのね、安くはないけれど、無理して食べなくていいからね。大倶利伽羅は、たべられるってだけで、好きではないでしょう?」
「……甘くないのもあるんだろう」
「うん。でも、私は甘いのを食べに行くから、それだけは覚悟しておいてね」
「……知っている」
甘い洋菓子がとびきり好きなことも、同時に一人で菓子を食べるのが好きじゃないことも、和菓子では、こし餡の方が好きなことも、一人でこっそりと食べる洋菓子は、ひと月半に一度、大倶利伽羅が近侍の時に食べるだけであることも、全部知っている。
その解放された時でさえ、慎ましやかなものなのだ。噛みしめるように、一口一口味わっている。
それが、今日は幾らでも食べ放題なのだ。箍が外れても仕方がない。覚悟はしている。
だが、まさか食事が一切なく、目の前にケーキばかりが並ぶとは思わなかった。いや、ムースとかゼリーとかも並んではいるか。苺だけが乗った皿もある。
何層にも重なった層が美しいオペラ、食べにくそうだがパリッとした食感のミルフィーユ、たっぷり苺の乗ったタルト、苺ペーストをねりこんだふわふわのシフォンケーキ、大粒の苺を挟んだショートケーキ、何もかも全て苺尽くしだ。
大倶利伽羅は、主に言われた通りに寿司やらスパゲティやらピザなども食べることにしたが、そこにも必ず苺が使われたものがあって、少々げんなりする。ゲテモノと思いつつ、苺のスパゲティを皿の端に少しだけ盛ったが、今からすでに後悔している。甘いものなどとは思ったが、今回は苺フェアなのだ。やはり苺の菓子が美味しいのだろうと、苺のタルトも一つ持ってきた。ピスタチオを使っているらしく、タルト生地と苺の間は、鮮やかな緑色で目に楽しい。
「はあん。見て、大倶利伽羅……全部、いちごよ」
とろけるような主の声に、大倶利伽羅は自分が唇を尖らせたことを自覚した。
最初に主が選んだのは、薄桃色をした苺のムースだった。苺を裏ごしした真っ赤なソースもかかっている。
「んー。甘いけれど舌触りが滑らかで、いちごの香りが口いっぱい広がって……。ん、でも、倶利伽羅には、ちょっと甘過ぎるかな。私は好きだけど」
恍惚とした表情で、主は瞬く間にムースを食べ終わる。次は苺のタルトだ。一粒一粒が紅玉のような煌めきを放つ苺を、大きめに切ってフォークを突き刺し口に含む。
「これも、いい。ピスタチオの濃厚さに、いちごが負けてないっ。タルト生地もザクザクした感触で、香ばしさとバターの香りがまろやかに包み込んでくる」
釣られて自分でも持ってきた苺のタルトを食べれば、少し甘めのタルトの土台が、苺の酸味と程よいバランスで、口の中で調和していた。
「ねぇ、私、ショートケーキって、至高の食べ物の一つだと思うの。ふわふわのスポンジ生地に、ミルクの香りが濃厚な生クリーム、そこに入ってくるいちごの酸味、全てがバランス良くて、好き」
ほら、一口食べる? と主はフォークを突き出す。無論そこにはショートケーキが乗っている。
「……なんの真似だ」
「ケーキ一切れは難しいだろうけれど、一口ならいけるでしょ?」
それなら自分で取ると文句を言い掛ける大倶利伽羅の唇に、ちょんとケーキを押し付ける。
「自分で取ったら、倶利伽羅はいちごを遠慮するでしょ。これはね、違うの。ちゃんといちごも食べてこそのショートケーキなのよ」
顔が勝手に歪むのが分かる。きっと主は、無理矢理食べさせられることを嫌がっていると思っているのだろう。だが、それは見当違いだ。『いちご』を連呼されることで腹の底をチクチクと針で刺されている心地になり、顔が歪んでしまうのだ。
しかし、説明するのは面倒だった。それよりは、食べてしまうほうが楽だ。
がっと口を開き、大倶利伽羅はケーキを頬張った。主が使って、主の唾液が僅かに付着しただろうフォークで、主が一口食べたケーキを、食らう。
「美味しいでしょ?」
「……そうだな」
味なんて、殆ど分からない。自分の舌が主の名残を探しているためだ。僅かな唾液に含まれた霊力など、数秒も経たないで消えてしまうだろうものでも、刀剣男士にとっては極上のものだった。
「え、まだ欲しいの? なら、自分で取ってきてね?」
どうやら物欲しそうに主の方を見ていたらしい。
大倶利伽羅はふん、と鼻を鳴らして毒々しいまでに赤い苺スパゲティを食べる。
黙りこくった大倶利伽羅に、主が恐る恐る尋ねた。
「ど、どうしたの? そんなに不味かった? これ、バイキングだから基本残したらダメなんだけれど、食べられるところまででいいからね?」
「……いや、逆だ」
「へ?」
「意外と、美味い」
嘘だろう。と、大倶利伽羅は呟いた。
大蒜とオリーブオイル、アンチョビ、そして鷹の爪を使ったペペロンチーノを土台に、仄かな酸味を苺で出しているのだろう。アンチョビのわずかな魚くささが、苺の風味で消えている。二口目を運ぶ大倶利伽羅に、主が疑い深く聞いてくる。
「本当に美味しいの?」
「意外と」
「倶利伽羅、ゲテモノ食いだったっけ?」
「……なら、一口食べてみろ」
少なめにフォークに巻き付け、大倶利伽羅は主の口元に手差し出す。自分の舌には絶対の自信がある。少量にしたのは、彼女の気持ちを慮ってのことだが、後悔はさせない。
だが、何故か主は大倶利伽羅のフォークと彼の顔を交互に見やるだけで、食べようとはしなかった。
さっきは自分が同じことをやったくせに、何故出来ないのか。
「おい」
「あ、うん。ええと、そう、そうだよね。他意はないよね」
「なんのことだ」
「なんでもない。頂きます!」
ぱくり。
眉を寄せて一口。口の中に入れたそれを、彼女はもぐもぐと咀嚼する。苦手なものなら丸呑みしてしまえばいいだろうに、彼女はそれが出来ない。
そして、パチパチと目を瞬かせて、慌てて大倶利伽羅を見上げる。
「ホントだ! お、美味しいっ。え、なにこれ。ガーリックの香りがすごく効いているし、普通のペペロンチーノだし、ちょっと色が赤いけど、美味しいわ」
「だろう」
大倶利伽羅は、主の舌が自分と同じ評価を下したことに、この上なく満足した。
そうして、皿の上の料理を食べ尽くし、二巡目、三巡目と主が繰り出すのを、大倶利伽羅は黙って見ていた。
大倶利伽羅は、男士として少食の類ではないが、生クリームなどの乳製品の匂いも、彼女ほど好んで食べるわけではない。従って、主が四巡目に繰り出す際は、少々胸焼けを覚えていた。
「これはね、苺のブランマンジェ」
「ムースと何が違う」
「ブランマンジェは牛乳じゃなくて、アーモンドミルクで出来ているの。ゼラチンも使っているけれど、ムースは生クリームや卵白で作っていて、ゼラチンは使ってないのよね。全然違うわよ」
見た目はどれもそんなに変わらない。
「あー、いちご、美味しい」
なんで、そんなに食べるんだ。
「いちごがあれば、もう、他に何もいらない。いちご、大好き」
パクパクと、主が苺を食べる。いちご、いちごと一期一振の抑揚のまま連呼して。
「いち、むぐ」
水菓子ならば食べられるかと、なんとなく持ってきたカットフルーツをフォークに突き刺し、大倶利伽羅は彼女の唇に押し当てた。
「食え」
「え、もう、食べられないの?」
主が目を瞬かせる。バイキングは、食べ切れるだけのものを皿に載せるのが礼儀だ。それくらい、大倶利伽羅も知っている。
フルーツを食べるのを躊躇いつつ一度口に触れたせいか、主は大倶利伽羅に命じられるまま、仕方がなさそうにパイナップルを口に入れる。
「ん、美味しい」
やはり、苺ほど彼女のテンションは上がらない。しかし、もしも苺を食べさせれば、また連呼されると思うと、大倶利伽羅は彼女の口にそれを入れる気にはならなかった。
大倶利伽羅は、別の果物を食べながら、主を見やる。
主が『いちご』と言い掛ける度、大倶利伽羅は果物を突きつけた。
「ストロベリー大好き!」
「……そうか」
大倶利伽羅は、手にした果物を自分の口に入れた。
「なんなの!もうっ」
ぷりぷりとしつつ、主は更にもう一度いちごのタルトを持ってきて、最後までたっぷりといちごを堪能してバイキングを終える。
現世からの帰り道、主は上機嫌だった。今にも飛び跳ねそうな勢いで、足取りも軽やかに歩いている。大倶利伽羅が思わずほほを緩めてしまうほど楽しげだ。
誰も居ない路上で、主はくるりと振り返り、大倶利伽羅に微笑む。
「ねぇ、また、いちごに付き合ってね」
大倶利伽羅の手には、果物がない。塞ぐためには、別のものを突き出さねばならなかった。
だが、主の口を手で塞ぐのは乱暴に思える。
仕方がなく、大倶利伽羅は屈んだ。
そうして、主の唇に唇を重ねた。
主の体がぴしりと固まる。
唇が触れ合うだけの軽いものだったそれでの彼女の反応に満足し、大倶利伽羅は体を起こす。
「な、な、な……! 何、するの!」
「あんたが俺を苛立たせるのが悪い」
唇を奪われた主は、絶句する。ぱくぱくと口を開閉する姿は、金魚のようだ。
「あんたは『苺』と言っているつもりかもしれないが、俺には『一期』と聞こえるんでね」
腹立たしくてならなかったのだ。
「また言ったら、塞ぐぞ」
ひっと鋭い声を上げて、主は一歩飛び退いた。
「嫌なら、俺の前で言うな」
何度、自分以外の男を呼ぶなと言い掛けたか。
「そ、そそ、そんなの、横暴……!」
「言わなきゃいいだけだ」
「無理なこと言わないでよ!いち……ストロベリーは私の大好物の果物なんだよ!」
「それがどうした。あんたは俺の」
そこまで言って、大倶利伽羅は続く言葉を失った。
時が止まった気がした。
主も、何故か体を硬ばらせる。
「……主、だろう」
「そう、だけど」
「だからだ」
だから、大倶利伽羅の目の前で、『いちご』と言ってはいけないのだ。大倶利伽羅は、頷いた。主は理不尽だと声を荒げる。その表情に、嫌悪の色はなく、密かに刀解も覚悟していた大倶利伽羅は、首をかしげた。
「……そんなに、嫌なのか」
「え?」
「俺に、口を塞がれるのは」
「嫌、じゃない、けど。良くないと、思います」
妙に堅苦しい言葉になった主だが、大切なことは分かった。少なくとも彼女は、大倶利伽羅を拒んではいない。大倶利伽羅は頷いた。
「なら、いい」
「いや、よくない!良くないよ!」
「俺がいいと言ったらいいんだ」
「良くないってば!」
その理由をはっきりと言えないまま、本丸に戻り、しばらく『いちご』と言う度に大倶利伽羅に唇を塞がれていた。
◇◇◇◇◇
「はぁ……。今年の苺フェアは、行けなかったわね」
失敗した、という顔で、主が大倶利伽羅を見上げる。
あの苺フェアから半年後、大倶利伽羅と審神者は、正式な恋仲になった。
半年、かかったのだ。
何せ大倶利伽羅はどうして審神者の口から『いちご、大好き』という言葉が出るのが嫌だったのか分からなかったし、審神者は大倶利伽羅にキスをされても恥ずかしいことは恥ずかしいが、嫌ではない理由が分かっていなかった。
『あんだけ僕らの目の前で何度も接吻しながら、二人とも自分の気持ちに気づいていなかったって、おかしいよね!』
とは、燭台切光忠の言葉だったが、鈍感だと言われても甘んじて受け入れるしかない。
何はともあれ、こうして恋人になってから、ある意味初めて審神者は『いちご』という言葉を使った。傍らには、近侍であり恋人である大倶利伽羅がいる。彼女はそろりと彼の側へと近づいた。見上げた表情は全く変わらないことに、小首を傾げる。
「えっと、いちごフェア、終わっちゃったの」
「そうか」
「いちご、大好きだから別のお店のも行ってみたい」
「決まっているのか」
「今度は◯◯ホテルのいちごフェアが気になっていて」
別に、彼女は大倶利伽羅に嫉妬をして欲しかった訳でも、キスをされたい訳でもなかったが、こうも何一つ反応がないのは、寂しい気がした。少しくらい顔を顰めてくれてもいいのに、と思いつつも『いちご』と言ったくらいで怒られるのも理不尽だと気持ちを切り替える。
「いちごって、可愛いし、美味しいし、最高なの。いちごは品種もたくさんあってね、いちごが一番好きな果物で、いちごだけでお腹いっぱい食べたいとつくづく思っていて」
連呼した。
反応はなかった。
もう、彼女を手に入れた大倶利伽羅は、苺にたいしてなんとも思っていないのかもしれない。
「いちごの新しい苗も買ったし、来年はもっといちご畑の面積を増やしたい」
「ああ、分かった」
大倶利伽羅が、柔らかく頷く。
なんだ。もう、苺に嫉妬するのは終わったのか。
ふふ、と審神者が笑う。
安堵しきった彼女の頬を、大倶利伽羅が長い指を翻し、その背でそろりと撫で上げた。輪郭を味わうようなどこか猥褻さを伴う動きは、審神者の官能を刺激する。
まだ昼間だ。大倶利伽羅が箍を外すには早過ぎる。だから彼女は身を任せるように目を閉じた。
大倶利伽羅の形の良い指が、審神者の唇に触れる。羽で撫でるように柔らかく、確かめるようにゆったりと、そっとなぞる彼の指は、どこまでも淫靡でありながら清涼だった。
名残惜しげに指が離れ、審神者が目を開けば、大倶利伽羅の蕩けるような笑みが間近にあった。釣られて笑みを返す。
「明日の予定だが」
「うん」
「休みに変更だ」
「へ?」
確か、明日も亀甲貞宗を探しに行く筈だった。どうして、急にそんな変更をねじ込もうと言うのか。
審神者が目を見開くのを、大倶利伽羅は甘い声で囁く。
「十回だ」
「え、何が」
「あんたは、十回『いちご』と言った。その後、大好きだのお腹いっぱい食べたいだの、卑猥な事を言った」
頭の中が、真っ白になる。
話は終わったと大倶利伽羅は立ち上がるが、そこで気付く。このままでは恐ろしいことになる気がする。わしっと彼の腕を掴んで、審神者は必死に言い募った。
「言ってない! いや、言ったけれど、それは全然卑猥じゃない!」
「あんたは、俺の嫌がる事をした。だから、今晩は寝られないと覚悟しておけ。足りなかったら、明日の夜もする。十回だからな。今日一日では無理だろう」
前までは、キスだった。キス十回が一晩で終わらないなんて、おかしい。
「十回私がイくまでやめないとか……」
「まさか」
ああ、そんな酷いことはしないのか。
審神者がほっと肩の力を抜いた後、とどめが待っていた。
「俺だ」
「え」
「俺が、十回だ」
顔から血の気が引く音を聞いた。
いつだって、審神者は大倶利伽羅が達する前に、二度、三度と達している。時には五度ということもある。
その大倶利伽羅が、十回。
「死ぬ」
「大丈夫だ。死なない。俺が、死なせない」
格好いいセリフだが、それはここでは聞きたくなかった。
「いやああああ! 死ぬ! 死んじゃう。ヤダ!」
どこか甘やかに目を細め、大倶利伽羅は審神者を射抜く。まるで服の下を探るような、淫靡すぎるものに、今度こそ審神者は背筋を粟立たせた。そこに嫌悪が全くなく、期待を含めた色が滲んでいることは隠しようがない。悪足掻きは、もはや、ただの習い性だ。
なによりここは本丸。
審神者はこの箱庭から、簡単には出られない。
ましてや大倶利伽羅は近侍であり恋人だ。審神者とは魂の深いところでつながっている。逃げることなど不可能なのだ。
審神者が解放されるのがいつなのか。
それはきっと明日になるまで分からない。
終