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 珍妙な風習に基づいて大倶利伽羅がその主からチョコレートを受け取ったのが、先月の半ば、2月14日のことである。

 

 外来の風習だと言う。お世話になった人に贈るのだと、些か緊張した面持ちで告げた彼の主はまるで押し込めるように彼の褐色の掌に不似合いなまでのラッピングを押し付けて逃げた。お世話など、された覚えはあるがした覚えはない。大倶利伽羅は持ち前の律義さでそう返しかけたが、既に廊下の向こうへと気配を消してしまった主人に恥をかかせることになるだろうかと思案しながら手の中のそれを弄んだ。

 伊達の刀たちは悉く同じ部屋に起き伏しをする。ちょうど4つ、小さく形を整えられた茶色の固形を卓上に並べ、お前らも、と言うと男たちは破顔しながら嬉しそうにそれを抓んだ。

「チョコレートじゃん。うめえな」

「生チョコだね……うん、美味しい。伽羅ちゃんどうしたのこれ」

「貰った」

「そうかそうか。誰にだ?」

「主」

 生チョコはココアパウダーで丹念にコーティングされている。貞宗はすっかり食べてしまい、鶴丸は先端を齧り、光忠は手に着いたパウダーを舐めとったところだった……そして彼らは自らの行いを恥じた。偏に誰かさんの不説明が悪いのだが、伊達男たる彼らが随分と無粋な真似をしてしまったと自らを恥じ入るのには十分な事案だったのである。

「……伽羅、お前さ」

「ああ」

「あるじに貰ったチョコレートを何の気なしに僕らに振る舞って」

「……?」

「これは、きみのじゃないのか?」

「この部屋に、だろう。人数分ある」

「「「そうじゃなくて!」」」

 打ち明けてしまいたい、この事実。伊達の薫陶を受けた男たちは、一向に伝わらない主人の恋心を想ってがっくりと肩を落とした。

 

 

 大倶利伽羅は誉れ高き不動明王の加護を受けた一級品の宝物にして、伊達政宗の佩刀だった由緒ある名刀である。こうして歴史修正主義者との戦闘にその神格を買われ、今は人の身を得て戦に従事しているが、れっきとした神格を持つ付喪神でもあった。

 国持ち大名にして奥州の雄、仙台藩に長く伝来し、その後も持ち主をいくつか変わりながらその身を保った。言わば人の世の中で極めて重んじられ、その身を大事にされてきた刀と言ってもいい。そうした刀はこの本丸に起き伏しする刀たちの中ではさして珍しい話ではなかった。問題は……彼のその、他の有象無象に対する興味関心の希薄さにあった。

 群れるつもりはない、馴れ合うつもりはないという言葉は、彼なりの礼節を尽くした姿勢である。軽薄で上擦った鞘当ては好まない。深く、緊密に、礼を尽くす。武人然とした佇まいと、言葉を飾らない簡素で無駄のない姿勢がそうさせるのだが、それは審神者の時代の常識的な社交性からは大きく乖離したものだった。

 審神者は何の変哲もない現代人女性である。そうした男性に対して免疫を持ち合わせていなかった。

 当然落ちた。あれぞ理想の男性と、出会った当初からそれはもうすごい勢いで、審神者は恋に堕ちてしまった。

 

 間近で見ていた燭台切は語る。自分が男の形をしているという自信を喪失しそうになるほど、大倶利伽羅を前にした審神者は恋する少女の顔をしていた。そして大倶利伽羅は、当然そんなことにはつゆ気付く気配がない。

 

「やっちゃったね……考えたらこの可愛いラッピング、こんなものを伽羅ちゃんが持ってくるはずないんだよ。しくじった」

「おうよ、光坊。やらかしたな……俺たちとしたことが」

「食っちまったもんは仕方ねえよ。おら伽羅も食えよ」

「貞が食いたいなら食えばいい」

「食いたくても食うわけにいかねーから!」

 審神者たっての希望で、審神者の秘めた想いは大倶利伽羅には伏せられた。厳密には大倶利伽羅のみに、である。彼女の振る舞いを見ていれば、一度でも人に使われ、俗世に混じったことのある刀であればその恋慕に気付くのは全く困難ではない。寧ろ気付かないほうが可笑しい。いや、当事者が気付いていないのだから、これ以上は言えない。

 審神者は病的なほどの恥ずかしがり屋だった。小学校から一貫して女子高育ち、というプロフィールが何を意味するのか厳密には理解していなかった刀たちであったが、20歳をいくらか超えて未だに生娘というおぼこさを見ればこれが初恋であるという理解に至るのは寧ろ自然な流れと言えた。

 そんな彼女が精いっぱいの勇気を振り絞って用意した一品を!

 長く彼らの傍に居すぎて自分たちにもその鈍感さ、純粋さが伝播してしまったのだろうか。伊達の名刀たちは秘密裏にそう項垂れるのだった。

 

 あれから1カ月。

 贖罪の意味を込めて、三振りの名刀は「ばれんたいん」という風習についてとある知見を得ていた。

 それは、3月の半ば。……かつて得た情に報いる日が設定されている、という事実である。これを巷では「ほわいとでー」という。

「伽羅。お前、明日は出陣がないよな?」

「ああ」

「内番でも遠征でもないな?」

「お前らと同じだ。確かそうだろう、何の用だ」

「主に先月のチョコレートのお返しをしようか!」

 ずい、と輝かんばかりの笑顔を寄せられ大倶利伽羅は狼狽える。礼、確かにそんなものを受け取った。ほろ苦い西洋菓子、指に粉がたくさんついて辟易したが、舐めてみるとそれはそれで独特の風味があって美味かった。それの返礼を、今更思い出したように? 大倶利伽羅は眉をひそめたが、彼の掌にあの時と同じように一束の書類が押し付けられた。

「プランは僕たちで練ったんだ。あと長谷部くん」

「長谷部は食ってないだろう」

「主にお礼するって言ったら喜んで協力したよ。それに彼は詳細を知らないし」

「?」

「こっちの話だぜ。伽羅、スマートにエスコートしろよ」

「俺が? お前らはどうするんだ」

「僕らが茶々入れても仕方ないだろ。報告だけ頂くよ。さて、そうと決まれば準備しようか」

「名付けて春の名刀と春を迎えに行くぜ大作戦だ! ……どうだ、驚いたか」

 大倶利伽羅は鶴丸には返答せずぺらぺらと紙を捲る。曰く、弁当を持って春先の野原へ単騎で向かう。曰く、春風に吹かれながら世間話をする。曰く、甘味を手渡す……接待か。なぜ俺が、と思う彼だったが、目の前の連中は既にこの計画を練るという作業を終えている。何も作業に参加していなかった自分が実行を担うのは自然な流れであるように思えた。長谷部など恩恵にあずかれていないのにただ働きをさせられているのだ。

「やればいいんだな」

「そうこなくちゃね!」

「よおっし、俺が衣装を見立ててやるよ。買い物行こうぜ!」

「髪も少し整えようか。セットは明日してあげるから、今日のうちに長さを揃えておこうね」

「甘味についてはもう目星が立ててある。鶯丸と三日月の厳選店舗だ、間違いはないぜ」

 大倶利伽羅は背を押され手を引かれるまま出かける運びとなった。疑問を差し挟む余地など存在しなかった。

 

 

 そして当日の朝。

 早朝にたたき起こされた大倶利伽羅は、まだ半分も目が開いていない状態から顔を洗われ化粧水を塗られ、同じく早起きをしていた光忠に厨房へと連行された。そしてお昼に食べるお弁当を手分けして作るよ、と彼まで炊事場に立つ運びとなったのである。伊達政宗公は料理にも通じた武人であったので、大倶利伽羅自身も炊事に興味がないわけではなかったが、いつもはそれほど積極的に厨に立つ方ではない。ただその日は何を聞きつけたのか歌仙や長谷部、果ては薬研や亀甲までもが甲斐甲斐しく厨を往来しているので大倶利伽羅は戸惑いつつもそれを手伝った。

「里芋の煮たのが主は好きなんだ。やり方を教えるからきみが作るといい」

「あんたが作るのじゃだめなのか」

「僕が作ってもいつも通りだろう。きみが作るから特別なのさ。そう難しい事じゃない、御礼なのだから心を込めるんだ」

「倶利伽羅の旦那。そっちが終わったら今度は鶏の照り焼きだ。大将はかしわが好きだからな。捌いておくから、しっかり味付けしてやってくれ」

「それが終わったら今度はひじきを……」

「……だからなぜ俺が?」

「お礼だから!」

 合言葉のように繰り返される御礼、の言葉に大倶利伽羅は戸惑う。そもそもあれはうちの部屋への贈り物じゃないのか? こいつらも礼をするならこいつらですればよいものを……そこまで考えて大倶利伽羅の手が停まる。もしや、伊達の部屋で今日の主を独占するから、他の部屋の礼をしたい連中が寄って集って便乗しているのでは? これだから多数の刀を束ねる主は気苦労が絶えない。気の毒な話だ。礼と言うのも、寄せ集まると迷惑なのだな。大倶利伽羅は納得しながら芋の皮を丁寧に包丁で剥き、鍋にかけた調味料の味を確認した。

 

 やっとのことで調理を終えると、同時並行で調理されていた朝食をかきこむよう指示され、間髪入れずに太鼓鐘貞宗の下へ遣られた。昨日ああでもないこうでもないと選りすぐった貞宗自慢のコーディネートを頭のてっぺんから順番に身に着け、いつものネックレスをつけると貞宗は満足げに頷いた。

「やっぱモデルがいいと見栄えするねえ。俺もちょーっち身長盛りてえな、色男度合では伽羅にも負けてねーと思うんだけど」

「大丈夫、貞ちゃんは格好いいよ」

「ありがとみっちゃんもな! っつうか、伽羅。お前さ、素材いいんだからもっとしゃんとしろよ。はい笑って笑って~」

「は?」

「主がドキドキしねーだろ? ここぞって時に笑えてこその色男だぜ」

「どうしてあいつをドキドキさせる必要がある」

「お礼だからだよ!」

 しっかり気張んな! と太鼓判を押され、戸惑いつつも大倶利伽羅は頷く。次に仕事をするのは光忠の番だった。歯を磨かされ、そのまま洗面所でしっかりヘアスタイルを決められてしまった。いつも流れるように洗いざらしの猫毛を撫でつけていただけだったが、光忠の手にかかればどこの読者モデルかと見紛う美丈夫が出来上がり、満足げに顎を摩った。光忠が。

 髪を一部後ろに撫でつけた大倶利伽羅はいつもより外見年齢が2つか3つは年嵩に見える。その楚々として凛とした気品は恐らく主の好むところだろう。

「頭が重いんだが」

「今日はちょっと固めてるからね。ぐしゃぐしゃにしちゃだめだよ」

「違和感が」

「我慢して。大丈夫、今日の伽羅ちゃんは最高に格好いいからね」

「必要なのか?」

「当り前だよ! あるじへの最高のお礼になるよ」

 全く釈然としていない大倶利伽羅ではあったが、御礼、と言われては分が悪い。今日の彼は接待役なのだ。自分の要望より、顧客の要望である。

「礼と言えばすべてのことが片付くと思ってないか」

「思ってない思ってない。美味しかったでしょ、あるじのチョコレート」

「美味かった。また食べたい」

「はいそれを笑いながら」

「? ……美味かった。また、食べたい」

「完璧」

 親指を立てる光忠は自分のことのように浮かれながら笑った。

「お弁当食べて、プレゼント渡して、最後にそれ言うんだよ。オーケー?」

「それが礼になるんだな」

「そうだよ! あと、これが俺の気持ちだ、って渡すんだよ」

「それは国永に聴いた」

 鶴丸は今頃、馬を用意しているだろう。丹念にラッピングされた甘味を荷造りしているはずだ。馬の扱いは手慣れたもので、大倶利伽羅もまた馬を乗り熟すのは気楽でよい。

 御礼。臣下であり持ち物である自分たちに、あんなに美味しいチョコレートをくれてありがとう。

 それを大倶利伽羅が自分の言葉で告げるだけで、主は果たして喜んでくれるのだろうか?

 大倶利伽羅は何も知らない。周りが何を想い、何を期待し、何に賭けてここまで大々的に準備をしたのか。

 主が何をその贈り物に込めたのか。

 

 知らなくても、もうその気持ちが答えなんだよ、と皆が思っていることも、大倶利伽羅は知らない。

 

「気を付けて行ってきてね!」

「いってらっしゃーい!」

「待ってるからな~」

 

 想像よりも大勢の刀に見送られながら大倶利伽羅は審神者と本丸を後にした。今日は天気がいい。心地よい春風が馬の鬣を揺らし、彼のスプリングコートを揺らし、彼女の髪を揺らす。弁当も贈り物も馬の横腹にしっかりと括りつけられ、武装を解いた彼と主を乗せて悠々と馬は進んだ。

 穏やかな日だった。惜しむらくは、馬上にて会話が殆どなかったことだ。

「あ、あの、ええと。大倶利伽羅さん」

「なんだ」

「今日は、いい天気ですね!」

「そうだな」

 鶴丸が言っていた。春の刀と春を迎えに行くぜ大作戦。語呂は悪いが、利益はあったようだ。春の刀というなら、春告鳥の名を冠した鶯丸や同じく春の刀として所蔵されていた太鼓鐘もそれにあたるはずだが、大倶利伽羅もまた春が好きだった。春の陽気の中で惰眠を貪っているときなど、人の身を得て良かったと痛感させられる。

「あんたは寝るのが好きか」

「え……なんで知ってるんですか?」

「なら、春は良い季節だ。寝るのに一番いい」

 微かに眠気を覚えて欠伸を噛み殺しながら大倶利伽羅がつぶやく。当然のことだが、馬は単騎で手綱を握るのは大倶利伽羅だ。背後から抱え込まれるようにして馬に乗り、掠れた色気(本当は眠気だったが)と共に寝る話をされ、審神者の胸は不当に高鳴る。

「桜の木の上は良い。誰も来ない」

「へ、あ、あぅ……そ、そですね?」

「邪魔もされない」

 邪魔ってなんだ邪魔って。邪魔されたら困るようなことを? 桜の木の上で? 審神者の胸中には盛大な勘違いの疑問符が立ったが、大倶利伽羅は何の気なしに寝る話をしているだけだ。純粋な、睡眠についての話を。

 ただ桜の木の上は大倶利伽羅の聖域だ。たまに同じ意図でもって山姥切がいることもあるが、お互いにお互いを尊重して棲み分けを行っている。互いの邪魔にならないように……そこまで考えて、大倶利伽羅はうっかりこの秘密を主に共有してしまったことを悔いたが、情報はなかったことにはできない。せめて口止めと配慮を言いつけるくらいしか出来ない。

「桜のことは誰にも言うな。あんたを連れていくのは俺だからな」

「は、はひ……?!」

 露見すると山姥切に悪い。……という説明が足りない大倶利伽羅であった。

 

 

 目的地は小高くなだらかな丘になっていて、見晴らしがよいためたまに短刀たちも同じように弁当を持って訪れて遊んでいるらしい。付近の山々を見渡せるくらいの高さで、決して道のりは険しくはないが時間がかかった。大倶利伽羅は身軽に飛び降りて下から主を抱きかかえて下ろす。ヘアスタイルを整えるときに燭台切がさりげなく振りかけたオーデコロンが審神者の鼻を擽る。そしてこのとき、改めて審神者は目の前の青年を凝視するのである。

 ああ、鼻血吹いて倒れそうなほど格好いい、今日の大倶利伽羅。

「どうした」

「どうもしないです……神様有難う」

「他人行儀だな」

 神様、はこの場合付喪神ではないのだが、彼女にとっては神にも等しい。この大倶利伽羅と言う神に、恐れ多くも本気で恋をしているのだから。

 しっとりと踏みしめた3月の地面は少しずつ花が咲き始めている。今日の審神者の出で立ちはいつもより少し大人びていて、手持ちの中では比較的綺麗に見える襟付きのブラウスを着ていた。当然パンプスも拘りたかったが、大自然の中に踏み込むのに汚れて困るものを履いていくのも同行者を困らせるかもしれないと、迷った挙句早めのサンダルにした。

 鶴丸から明日はめかし込んで来いと言われたときはどういうことかと思った。まさか、こんな驚きが待っていたとはつゆ思わなかったが。

 審神者は大倶利伽羅に惚れている。それはもう惚れ込んでいる。一目惚れに始まり、本気の恋になり、片思いを拗らせてずるずるとこんなところまで。チョコレートを渡せたのは奇跡に近かった。そしてわざわざ返礼をしてくれるという、それだけでもう涙が出そうなほど嬉しい。

 大倶利伽羅の良さが引き立った装いも、髪形も。きっと彼をここまで仕立ててくれたのは愛すべき刀たちだ。

「それに、今日は礼を言うための場だ。あんたに礼を言わせるわけにいかない」

 御礼って、寧ろ自分が言わなきゃいけない気すらしてきます! 

 審神者は挙動不審になりながら頷く。大倶利伽羅は順番が前後してしまうことを迷ったが、忘れないうちに言ってしまった方がいいだろう。

 

「チョコレートだったか。美味かった。また、食べたい」

 

 笑っている自覚はなかったが、大倶利伽羅はそのとき確かに笑っていた。

 ああ私死んでもいいわ。審神者は真っ赤になった顔を背けるように、嬉しすぎて死にそうな感動を隠すように、こくんと頷いた。

 

 その後、並んで弁当を食べて、返礼という名の贈り物を渡して。

 2人は日が暮れる前にゆっくりと帰路に就いた。少しずつ遅くなる日没の時刻が春を告げるようで、いい季節だ、と大倶利伽羅は思う。

 審神者は必死に背筋を伸ばしながらも少しうつらうつらとしているらしい。寝ていいぞ、と呟くとしゃんと起きた。

 そうしてホワイトデーのデートは終わった。春の刀と春を迎えに行くのは、どうやら成功した……ようだった。

 

 

「鶴ちゃん。俺一つ気になったことがあるんだけど」

「おう。なんでも聴いてくれ貞坊」

「春の刀と春を迎えに行くのはいいけどさ、肝心の春が来てなくねえか?」

「いいところに気が付いたな。俺もそれは突っ込もうと思っていたところだ」

「……なんで?! なんであの雰囲気であの子たちまだ付き合ってないの?!」

「こりゃあ、伽羅坊も大概だが、主も大概だなあ……」

 拗らせた片思いの咎は存外大きかったようで、日没と時を同じくして帰着した主とその刀に、安堵のような、じれったさのような、熱の篭った息を吐いた一同であった。

 

 

END

春を迎えに行く
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